2022/01/03
『サイ』は、とうの昔に勝手に投げられている
こんばんは
三が日最終日に、
面倒くさくて、ややこしいネタをブッ込もうと試みている
『くるあん工房』うえはらです

取り出したるネタは、
数学の限界について
です

はい、面倒くさいですよね~(笑)
わかります

非常によくわかります


でもちょっと、
ここで、このタイミングで語っておくことが、
当ブログとしても大切な事なのではないかと思い、
語らせていただきたいと思います

(というほど、難しい話でもなんでもないんですけどね

結論から先に言いますと、
数学は「無いもの」を、
証明できない
ということを言いたいのです


例えば簡単な例で、
6÷3=2
という式の捉え方は、
①6個あるものを3等分したら、1つの塊にはいくつあるか。
②6個あるものを3個ずつに分けたら、いくつの塊になるか。
ってことになりますよね

では、
『÷0』の場合はどうなるのか?
①6個あるものを0等分したら、1つの塊にはいくつあるか。
②6個あるものを0個ずつに分けたら、いくつの塊になるか。
解なし
或いは、無限ということになりますね

※ちなみに、この考え方でいくと、
『0÷0=何でもアリ』が成り立ちます

でも、
本当にそれでいいのでしょうか?
森羅万象を10進法ごときで縛り付けてること自体が、
人類の傲慢さを表しているいい例だと思うけど、
それ以上に傲慢さを感じてやまないのが、
この、0の定義

「0=無」
あるいは、
「0=無限」
とすると、
それを定義しなくちゃいけなくなるんだけど、
残念ながら、
それはできない

究極的に矛盾してますからね

そうなってくると、
人間が認識できないもの(カウントできないもの)は、
「無いもの」として学問がスタートしてしまいます

それだと、『臭い物に蓋をする』的な思考回路で、
都合の良いものだけを理論的に取り上げて説得力を持たせるといった、
現代でいうと「SDGs」みたいな、デタラメな理屈になってしまいます


言ってるレベルが幼稚園児級の話でしかないのに、
国家レベル(といっても弱小奴隷国ばかりですが・・・)でこれを推進するという滑稽さたるや、
正気の沙汰ではありません

仮にその取り組みを真剣に行なった場合、
お金がどこに集まるのか、
誰が得をするのか、
そして、誰が生きづらくなるのか

考えてみたらこんなキレイごと、すぐに茶番劇だってわかる筈なんですけど、、、
日本は未だに取り組んでますね

おっと、
話が逸れちゃいました


でもね、
認識できないものを「無い」ものとして
学問がスタートしちゃうと、
いずれ
人間にとって『都合よく見えているモノ(認識できるもの)』だけの世界に、
正解を閉じ込めちゃうっていう、
完全奴隷制度が確立されちゃうんじゃないかなぁ・・・
みんな、「それがあたり前じゃん」っていう思考回路になりつつある現代が、
恐らくその黄色信号期だと思います

数字(所詮、誰かに作られた世界の中だけでしか通用しない利己的な理屈)ではなく、
あなた自身がもつ、あなただけの


独自性と存在意義をもって、その想いと行動が成就したなら、
この世に存在したことの意味を見出せるのかも知れません

ともかく、
出し切って生きたいもんです

それ以上はないんですから(笑)
っと、
長々とすみませんでした

ただ、2022年・・・遂に
『目が「¥($、€)」になっている連中』がつくり出す、
数字やデータに惑わされちゃってると、
『命の意味を自らが消してしまう世の中』にシフトしましたもんで、
ここで一言だけ申し述べさせていただきました

毎度毎度、意味わかんない文章ですよね(笑)
ごめんなさい

まとめちゃうと、
『限りある命』を燃やす対象が、
①生活のため
②お金を稼ぐため
③家族を守るため
である方は、切り捨てられる時代が来た、
ということです

悔しい方は立ち向かってください
何言ってるのか分からない方は、自分を大切にしてください
さ、
ぶっ飛んだ回でしたね~(笑)
はてさて皆さん今日もお疲れさまでした~

明日もまたジャンジャン楽しんでいきましょう~
