2020/01/03
こんばんは

ぐうたら生活をしている
『くるあん工房』うえはらです

さて、新年を迎え、2020年がスタートしました

三が日も終わり、いよいよ本格的に経済全体が動き始める時期となりました

昨年は激動の一年でありまして、僕自身も大きく成長させていただきました

また、交友関係の幅も広がり、いままで接点すらなかったジャンルの方々とも
深く話をしたり、情報をいただいたりする身となりました

そこで、僕なりに感じていることや思っていること、これから起こるであろう事柄などをここに記しておこうと思います

どこかでお役に立てれば幸いです

今後の日本あるいは世界の動き(変化)は、おそらく今までよりも更に速度を増し、
予想もしていなかった時代が現実のものとして生活に降り注いでくることになるでしょう

つまり、
洗脳速度が加速するということ
教科書では、国家単位で世の中の仕組みを説明されています

その時代時代での国境を基本として歴史や思想、宗教などが語られています

ところが実際には、世界は国家単位で動いているワケではありません

国境とはまったく関係のない
『利益を得るためのなわばり』によって区切られた、
いわゆる
『権域』がその境界線を作り出しています

これは国境のように明確な境界線を有しているものではないので、
私たちはなかなかコレを意識することができない仕組みになっています

「国家」はその「なわばり争い」に使われるひとつのツールであることを、
まずは理解する必要があります
『国境』と『権境』はまったくの別物であり、
その二つは同時に存在しているということ

ですから、「〇〇〇〇(国家名)は親〇の国である」とか、
「〇〇(国家名)は反〇の国である」といった文章は非常にナンセンスな表現であるといえます

『国家という体勢を世界で維持させること』は、それを更に上から操作している人間からしてみると
とても便利なシステムです

その国の代表たる人間に、何らかの発言(状況により種類は様々)をさせるだけで、それに賛成する庶民と
反対する庶民とに分けることができ、またそれらを容易に対立させることができるからです


「対立構造」が維持されている限りは、人々は『その上』の存在に気付くこともなければ、
目を向けることもありません

気付くこともないワケですから、当然『その上』に歯向かうこともありません

人間は基本的に『欲』に縛られ、『自己』を尊重する生き物ですので、
ある組織(規模は様々)の中に対立構造さえ作ってしまえば、
それを支配している人間は永劫安泰が約束されることになるのです

「~組合」という組織が企業単位でも国単位でも無数に創設され続けているのも、
『一致団結させないため』にほかなりません

理念が同じならば、本来たとえば「労働組合」などは作る必要はないはずです

ただ、
稀にこの図式に気が付いてしまう人間が現れます

とても優秀であるはずの、こういった方々は、しかし残念ながら世の中から
変人、あるいは
危険人物として扱われ、
過去ブログにも書きましたが「社会的に抹殺」されてしまいます

最悪の場合は、現実的に抹殺されてしまうこともあります

その中でも
更にクレバーな人材は、単独でも大成できる道を用意したり、
あるいは周りを説得し賛同を得るだけの影響力を身につけるなど
盤石の体勢を整えた上で『想い』を発信するという手段を選びます

が、残念ながら・・・
こういった超優秀な方々を待ち受けているのは、称賛や伝説化ではなく
『法改正による処罰』です

「こういうことが起きると住民に危険が及ぶから」とか、
「他人のプライバシーを侵害することは悪である」というような
もっともらしい理由を付けて(実際には、メディアを通じてそのように報道させて)
法律そのものを書き換え、優秀な人物の功績を直接的に潰してしまう
それはおかしいだろぉっ!って、誰もが気付いてしまうような超ド級の法律を通す場合は、
そのカムフラージュとして「トレンディ」な芸能人のスキャンダルを特番まで組んで流したり、
白熱している「スポーツネタ」を必要以上に流したりして、
国民の目を欺きます

実際、
例えば日本の場合、国民のたった
4割しか参加していない選挙で選ばれた
国会議員(国の行く末を左右することに繋がる、国民の代表者たち)がその多数決でもって、
法律を通してしまっています
ここでチョット注釈
僕はこういった図式(国境を残している意味、~組合が多数存在していること、立法とそれを可決する仕組みなど)を
否定しているワケではありませんので、あしからず



話がどんどん違う方向にズレちゃって、ここで言いたかったことから
ずいずい離れてしまう一方なのが心苦しいトコではありますが、
もうちょっとだけ続けます、ね

地域にもよりますが、人間は主に『メディア(その人の情報源)』によって常識を形成されます

その基礎となるのは、『教育』です

そう、学校教育

学校で教育されたこと、が
その人の人生の基礎になります

だから、現代の子どもたちは教師から殴られないことを常識と捉えているし、
悪いことをしたら、当然怒られるし殴られるのが当たり前で育った僕ら世代とは
常識が違ってしまう

その行為や形式が、『良い、悪い』という話ではないことに御留意ください。
常識が違うこのことだけにフォーカスを合わせてください

世代間によって常識が違うんです。
「あたりまえ」の水準が違うんです。
それは、技術の進歩によって生じた利便性向上による変化ではありません。
共有電話がスタンダードだった世代の人たちと、スマホをスタンダードとして生きてる現代っ子との
差はありません。違うのは
技術力のうんぬんではなく
教育の質の差です

何を教えるか、どのように教えるか、
この差で、国の未来が変わります

が、
冒頭でお話したように、このご時世において国境はあってないようなもの

「国境」はそれを利用できる人間たちにとって都合がいいから残されている
過去の遺産であることを深く認識することが重要な時代がやってきました


前文、
『この差で、
国の未来が変わります』
と書いた意味が分かってもらえたら最高です

っていうか、
こんな話、ブログじゃなくて書籍でまとめないと伝わらないよね~(笑)
命にも限りがあるし、今年あたり自費出版してみようかな

メディアで
少女が演説を始めたら気を付けろ
はてさて皆さん今日もお疲れさまでした~

明日もまたジャンジャン楽しんでいきましょう~