2020/08/12
こんばんは

数日間の眠りから覚めた
『くるあん工房』うえはらです

今日からまた、ほぼ毎日ブログ更新をして参りますので、
仕事の息抜きに、酒の肴に、単なる暇つぶしに、用途はそれぞれご自由に
ご利用いただけたら幸いです

どこかの記事の、どこか一文でも、あなたの心に何か響けばこの上なく幸せです

さて、
ナゼだかよく分かりませんが、最近ちょくちょく
神道は悪魔教である旨の情報がスマホから流れてきます


配信者は匿名なので、所在も人物像もさっぱりわかりません

ので、
このことの真意というか、配信者の意図は掴めないのが実状です

そしてまた、その配信者の方(方々?)が僕に反論する場がないため、
僕が一方的に意見を述べるのはフェアじゃないのかも知れないけども、
明らかな間違いがあると思うし、そういう扇動活動をしていると、
天皇陛下がまるで邪心教の教祖であるかのように捉えてしまう日本国民も
少なからず出てきてしまう恐れがあるため、
ここで
一言申し述べておきたいと思います

まず、字義通り
神道は
「道」であり、
「教」ではありません

配信者は、そもそもこのことを理解されておりません

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教、密教、モルモン教、シク教、儒教・・・etc
世界にはさまざまな宗教がありますが、これら
「教」と名の付くものはすべて
絶対的なものからの
教えを乞うという図式で成り立っています

だから、その教科書となる旧約聖書や新約聖書、コーラン、仏教法典などがまず存在します

そして、そこに書いてあること(製作者の考え:神との契約者が得た知恵)に従って生きることを是とし、
これに反する行為を悪として捉えます
神との
契約違反行為が
悪になってしまうからですね


だいたい、契約者の意志に従う生き方、考え方っていうのは・・・、考えてみれば、、、ねぇ、、、まぁいいや


ところが、
先にも述べましたが、
神道は『道』ですから、そもそも
契約ではありません
『道』とは、
己を己の理想とする姿に高めていく過程のことであり、
終わりもなければ、正解も不正解もありません

主体となるのは、あくまで自分自身の心の有り様であり、
絶対的なものとの契約行為などでは決してないのです

空手道、柔道、合気道、華道、茶道、書道、武士道・・・etc
どれも終わりなき己の旅路であり、満足した人には終点があるんでしょうけど、
終点に着いたら目の前に新たな道が開けていることがほとんどなのが、
『道(どう)
』なのであります

己を律する行為が『悪魔崇拝』とどう関係しているのか、配信者の方にはお話が是非お聞きしたい

また、
神道でいう
「神」とは、
「御先祖様」であり、自分をこの世に生み出して下さったすべての人々のことです

神社にて、二礼(拝)二拍手するのは敬ってご先祖様を呼び出す作法であり、
そのときに祈るのは、願い事ではなく決意表明です

(我欲肥大症候群を患う日本人が増えたせいで、神社で『願い事』をしている人も多くなってしまいましたが・・・

)
この脈々と続いてきた生命の連鎖と、その末端をいま担っている自分の可能性に
『感謝』をすることが
なぜに悪魔崇拝なのか?
意味が分からない

それに、まぁ念のためと思い、
天皇陛下からいただいた詔(みことのり)を、いろいろと読み返してみましたが、
「我は王なり。下々は我が僕(しもべ)として働き尽くせ」などと言ったことは
一度もありません
逆にそれに近いことをやっていた我々に対して、
陛下から怒られたことが記されているくらいです

それが『天孫降臨』の話

「汝、ウシハク。この国はシラス国ぞと・・・」ってやつですね

話が長くなってるんで、詳しくはまたの機会に送りますが

何にせよ、
神道と
悪魔崇拝を同一としてみる根拠が分からない

もしも、『感謝』や『自己啓発』が『悪魔』だとすると、動・植物限らずすべてが悪になってしまう

だとすると、神もへったくれもあったもんじゃない


神道を悪魔崇拝と呼んでいる人たちは、
儒教なんかでいう男系序列と、天皇系の万世一系を混同しちゃってるんでしょうね

まったく違うんだけど、ね
ん~・・・言いたいことはまだまだ山ほどあるんだけども、
長くなりすぎているので
このへんで終わります

休み明け、いきなり爆発 ごめんなさい


PS:『道教』はややこしいですけど道ではなくて、「教」です

のと、
反論があれば、心よりお待ちしております
勝手に言ってるんで、是非ご反論をいただきたい

はてさて皆さん今日もお疲れさまでした~

明日もまたジャンジャン楽しんでいきましょう~