2018/08/08
ぼよよん ①
こんばんは
暑さにもだいぶ慣れてきた
『くるあん工房』うえはらです

というか、今日はそんなに暑くもなかった・・・のかな?

さて、
特に理由があったわけではありませんが、僕は「小説」というものをあまり読むことがありませんでした

それが、いつの頃からか積極的に読むようになり、しだいにその魅力に引き込まれていきました

いろいろなジャンルや作家さんの小説を読みあさっていくうち、
僕のなかに・・・ある種の『癖(へき)』が眠っていることが分かってきました

そのフェティシズムにも似た「くすぐりどころ」を刺激されてしまうと、
その本に吸い込まれ、ときを忘れて読書に没頭することもあります(笑)
そこで名が出てくるのが
司馬遼太郎
日本を代表する大作家ですから、敢えてここで僕ごときがこのようなかたちで
氏の名前を出すこと自体が失礼かもしれませんが、
氏の小説を読んでいると、情景が目に浮かぶように展開していくんです

なんとも痛快で、壮大で、面白いのであります

TVや動画といった映像(動的)情報は、目でそのなかの『動き』を見て、耳で『セリフ』を聞いて、
意識や心が『それ』に反応します

が
書物のもつ文字(静的)情報は、目から入ってくる文字列から『それ』を作っていかねばなりません

目という『センサ』から吸い上げられた情報を、脳(?)内部にあるスクリーンに映し出し、
それを観ている観客(意識や心)がさまざまな反応を起こしていきます

場がシラけないためにも、目(センサ)はできるだけ「無意識」で動く必要があり、
とにかく一定の速度で単語を脳へと運ぶことに徹することが肝要です

知らない単語や、意味の分からない単語にいちいちつまづいて、
スクリーンの映像が途切れ途切れになったんじゃ、観客である意識と心の臨場感も
離れていってしまいますからね


「なんだ、この映画。つまんねぇ」・・・って


だから、少々つまづいても転んでも、気にしないでそのまま走り抜けてゆけるような
『流れ』をもった文章って素晴らしいなと思っています

むむむぅ
あぁあぁあぁ~・・・
何が言いたいのかよく分からない記事になっていきよる



本当は今日、こんなことが書きたかったんじゃないんですけど、
実はここまで書くのにもう2時間が経過してまして(笑)
なにやってんだ、という後ろからの冷たい視線もありますもんで
ホントに書きたかった今日のテーマは、明日に繰り越したいと思います

グダグダに付き合ってくださってありがとうございます

明日は、言いたいことをズバッと言おうと思います~


はてさて皆さん今日もお疲れさまでした~

明日もまたジャンジャン頑張っていきましょう~

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